原稿を書き始める際の注意

1 文体について

 科学論文の書き方は、一般生活の言葉と同様、時代と共に変わっており、昔は厳格なルールに近いものがあったが、現在は比較的緩くなっている部分もあり、科学者や学会組織の年代によって異なることが多い。
一方で、学会やソサエティによって、それぞれ微妙に異なるルールや文化があり、本研究室では主に材料科学の分野を参考に、研究室ならではのいくつかの書き方ルールを以下に設ける。

  1. 「である」調で書く
    •  論文の基本は「である調」であり、他の日本ご参考文献には「ですます調」などがあると思うが、自分の論文を作成する場合は、一貫して「である調」にする。
      (時々、いろいろな文体が混じって、いかにも「書き写しました (コピペしたまま)」と言わんばかりの原稿をみかけるので、注意して欲しい。)
  2. 基本は「一人称を使わず、無生物主語構文や受身文を使う」
    • これについては、後述する。
  3. 口語的な表現は控える
    •  論文はオフィシャルな文書であるため、口語的な表現は避ける。
  4. 主語、述語は明確に意識して文章を書く
    •  特に日本語は、主語を省略しても文法が成立してしまうため、常にその文章に省略されている主語は何なのかを意識しておく。卒論を添削していて時々気づくのは、文章の途中で意味上の主語が入れ替わってしまい、その議論全体が論理的でなくなったり、理解できない文章になっていたりする。
  5. 口語的な表現は控える
    • 論文はオフィシャルな文書であるため、口語的な表現は避ける。
  6. 情緒的な表現、曖昧な表現は控える。形容詞は画一的に表現する。
    • 論文はどの読者によっても同じ意味に受け取られないといけない。また文章内でも、一つの現象の度合いを様々な言葉で言い表すのではなく、なるべく一つの表現に絞って記述する。同様ながら度合いの異なる現象を複数の表現をする場合は、その違いに読者との暗黙の暗黙の了解がある場合のみ用いる。
  7. 接続詞は慎重に使用する。適切か?必要か?
    •  接続詞は、文章や段落の前後を結ぶ重要な役割を果たす。順接、逆接など適切な選択をしているか?また本当にその接続詞は必要か?(なくても文脈は成立するなど、不必要な使用は避ける)
  8. 「思われる」は原則使わない。
    •  文末に「〜と思われる」を研究室内外でよく見かける。状況証拠などから客観的に判断する「〜と考えられる」が正しい用法である。ただし、「考えられる」についても更に確定的な「である」が使えないかを精査すべきである。
       最近のTV番組の影響で「思われる」とコメントする専門家が増えてきており、和文誌でも許容されるようになりつつあるが、本来「思われる」に相当する科学英語はない。

2 「一人称を使わず、無生物主語構文や受身文を使う」が鉄則ではない

 日本語・英語を問わず、科学技術論文には「私」「我々」という主語をさほど使用せずに、伝統的に受動態が多く使用される。の使用が好まれる。その方が客観性が増し、押しつけがましくないということである。しかし科学文章も時代によって変わりつつあり、能動態で書いた方が読みやすいなどの理由で、適宜能動態が用いられることが多くなってきている。

  1. 一人称を主語として、能動態にする場合
    •  あえて「私」「我々」を主語に能動態にすることで、他者と異なり我々は○○であるという著者が持っている優位性や、著者が責任をもって主張するという精神が現れ、文章が強くなるような時に用いられる。
       ただし、当研究室の分野では主語に一人称を使う事は希で、「著者らは」や「著者グループは」を用いることがある。いずれにせよ、あまり多用しない
  2. 意味上の主語を一人称としながら、主語は書かず能動態にする場合
    • 受動態の記述は、古臭く読みにくいという最近の風潮もあり、客観性を失わない程度に能動態で記述することで、読者が読みやすくなることから、特に日本語論文では能動態の使用頻度が増えつつある。
       当研究室では、主に実験方法などでは能動態で書いても良い。
      (例)
      「原料には市販のCuおよびTi粉末が用いられ、所望の組成で混合された」
      →「原料に市販のCu粉末を用いて、所望の組成に混合した」
  3. 無生物主語の場合は、能動態で表現しても良い
    •  本来、無生物が主語になれば客観性は失われず、能動態にすることで読みやすく、文章が伝わり易くなる場合がある。
  4. そもそも英語論文でも能動態と受動態は使い分けられている
    •  日本人の書く英語論文は受動態が多すぎるという批判もあるようである。本来能動態で書く事によって関係詩などの使用の自由度が増し、論理的な表現がし易くなるのを、受動態によって深い文章が書けなくなる。そもそも能動態で生きる文章を、無理矢理受動態で書く事によって、意味がちがってくるなどある。
       本ページの趣旨(日本語論文の書き方)と異なるので、ここではこれ以上触れない。
[章立て (論文の構造と章の構成)]につづく