学歌・寮歌
はじめに
1953年(昭28)師走、冬休みで寮生の殆どが帰省した静かな明徳寮の夜の窓辺。深々と降りしきる雪も一休みし、遠く望む雪空が赤く染まる。溶鉱炉の赤い火が、未だ「鉄は国家なり」の時代の象徴として、日本復興の大いなる原動力であった頃。貧乏学生は、この雄渾な炎から限りない勇気を貰っていた。
星霜は移ろい、あれから半世紀、学生時代の思い出は我が人生の原点として今も走馬灯の様に蘇る。 その証しとして、蘭岳の麓に母校が蒼茫を分けた頃からの”学歌・寮歌とその生い立ち“を記録に残しておきたいと思う様に成った。
この度、長い間の調査資料の集大成として漸くここに纏め上げる事が出来た。この中には、“埋もれたる歌”の存在も歴史の断片として加えてある。
資料や情報の提供を始め、親切なご支援を頂いた同窓諸氏・知己・ご家族の皆様には衷心よりお礼を申し上げたい。
この記録が、同窓生の己が青春を偲ぶ縁ともなれば、望外の幸せであると共に、後輩諸君によって今後も更に充実補完されて行く事を希望する。